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最終更新日:2011年1月20日
このページでは、光市に住んでいる市民の皆さんから、「ふるさと光」での暮らしの中でのちょっとした発見や、きらりと光る魅力を発信します。
ぜひ光市の良さや暮らしやすさを、雰囲気だけでも感じ取ってください。
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更新履歴 2009/11/17 柚木 貴晴さん 光市の魅力は「ひと」 その1 わんぱくじじいの独り言「陳さんの茶飲み話」
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梅田病院理事長秘書、光市Uターン等定住者ネットワーク会長 柚木貴晴さん
私は今、光市役所企画広報課の素晴らしい仲間たちが立ち上げた「光市Uターン等定住者ネットワーク」のお手伝いをさせてもらっています。お役所仕事ではなく、やわらか頭のお役人さん達とのふれあいは、私が一番大切にしている“知識より知人”という言葉通り、新たな出会いとともに、我が愛する「光市」がより輝く事に夢馳せるとてもステキなひと時を共有させてもらっています。
そんな私、わんぱくじじいの独り言“陳さんの茶飲み話”を皆さんに・・・
光市には、当地で新しく国(国籍)と本籍地を手に入れ、新しく自分のお気に入りの名前をオーダーメイドし、新しいふるさととともに多くの仲間にも恵まれ、楽しい日々を送っているそんなラッキーな男が一人います。その人の名は柚木貴晴(旧姓、陳顕朗)、それが私です。
二人の中国人祖父と、二人の日本人祖母を持つ華僑3世で、神戸生まれ神戸育ち。インターナショナルスクール(アメリカンスクール)から始まり、チャイニーズスクール(神戸中華同文学校)、神戸市立須磨高等学校を経て、京都外国語大学と、学校も言語も文化も含め、我が家では常に「和・洋・中」の文化が共存している上に、貿易商というロケーションの中で玄関には常に日本の国旗を始め、中国の国旗、アメリカの星条旗がそれぞれ祝祭日、記念日に合わせて掲揚されていました。没後100年の記念の年を迎えた光市出身の伊藤博文公(兵庫県初代知事)プロデュースによる神戸外国人居留地にあった自宅兼オフィスの異人館では、週末には各国の人達が集うサロンになっていたようです。
最近では完璧に歌える国歌は“君が代”なる日本国歌だけとなってしまいましたが、少年時代から青年期の間に3か国の国歌を歌ってきた私にとっては、あらゆる場でそれぞれの国の国歌・国旗に対して、常に右手のひらを胸に当てるという“すりこみ現象”が完全にインプットされています。
そんな私が、縁あって光市に移り住んで、早30年の時が過ぎようとしています。
=その2へつづく、乞うご期待=
島田地区在住 小林 久美さん(長野県出身)
光で出会った一番大きくて強烈なものは「市民ミュージカル」。
ちょうど10年前、市広報の記事を見て出掛けていったのが事の始まりでした。大好きなミュージカルもこれは観るものと思っていたのに、舞台に立つことになるなんて。そしてそんな自分のことよりもっと驚いたのは、ミュージカルをやりたいと集まったひとが200人近くもいたこと。
光のひとって、こんなに目立ちたがり屋?と思ったものでした。
この市民ミュージカルの体験は、そうとはっきりと意図してなかったのだけれど、おのずとネットワークづくりの体験となりました。それまでポツポツと「点」であったものがさあぁっと「線」でつながっていった。
その後いつでもつながっているという訳ではないけれど、「応援するよ」という思いは持ち続けたいと思っています。
そして10年目の今年、8月30日に市民ミュージカル「おばけが走る」を公演します。小さかった子どもたちがよい若者になり、10歳としは重ねたけれど、まだまだと頑張る熟年も。そして新しいメンバーが新しい力を注いでいます。これこそ市民ミュージカル。
そういえば光市という名前を初めて聞いた時、「これは冗談?」と思ったことを覚えています。考えてみればこの名前を照れずに言えるというのは、けっこう凄いことで。
もしかしたら、この名そのものが一番大きな存在なのかもしれません。
「光市」も、そして「光 市民ミュージカル」という名もすっと自然に出てくるようになりました。もちろんもう照れもなく。
室積岩屋在住 梅津 敏英さん(山形県出身)
さあ、これから楽しい人生を光市でとウキウキしながら市役所へ。入籍届けを提出してもニコリともしない職員。何じゃこれ!
あれから19年。光市が大好きになっている。考えてみれば山形にいたのは高校までの17年、東京20年、光市19年。何が好きかって聞かれても困るけど、けっこう好きなことを自由にさせてもらっている。「光市に新しいまつりを」と2008年に始めた光アート&クラフト 想・創まつり。2度目の今年は3万3千人ものお客様が集ってくれた。
室積派出所のおまわりさんに「迷惑にならないノボリの立て方」を相談したり、公民館から交流会のための台所用品を借りたり、会場の職員たちとの数度の打ち合わせ、後援依頼のために訪れた市の各課の担当者。みんな優しかった。私がやりたいことをみんなで応援してくれた。そしてみんな会場に足を運んでくれ、我がことのように喜んでくれた。
これが光市のすばらしいところ、大好きなところ。
自分がやりたいことを好きにやらせてくれるとこなんてなかなかない。演劇公演で全国を歩いているけれど、やる気のある人の足を引っ張るところの方が多かった気がする。「出るクイは打たれる」ってよく言われた。
でもやりたいことをやれないなんてつまらない。自分が生き生きできなくてなにが楽しい?まだまだ光で楽しんでやる。まだまだ人を楽しませてやる。まだまだ楽しいこと探してやる。
みんなで楽しいことしよう!
島田地区在住 チョークアーティスト 大楽淑恵さん(神奈川県からUターン)
私は高校卒業まで光市で育ちましたが、大学進学と就職で7年間ほど光市から離れていました。しかし、「自分のライフスタイルにはやっぱり光市が合っている!」と思い、25歳のときにUターンで戻ってきました。
現在は会社員としての生活の傍ら、チョークアートというオーストラリア発祥の看板アートにも取り組んでいます。チョークアートは学生時代に興味を持ち、神奈川県・湘南にて習得してきました。
チョークアートはカフェやバーのメニュー看板、結婚式のウェルカムボードとして使われており、とても明るく、おしゃれなアートです。まだまだ新しいアートですが、私はこのアートを光市へのお土産だと思っています。
光市を歩くと虹ヶ浜や室積のきれいな海、満天の星が見えるコバルトライン、古風で趣のある海商通りなど素敵な場所がたくさんあることを改めて感じます。
また、私が光に戻ってから一番感じたことは、“人のあたたかさ”です。チョークアート活動をする上で、多くの方が興味を持ってくださり、声を掛けて頂きました。また、一度お話するとあっという間に仲良くなり、今ではお友達であり、先輩であり、サポーターとなって頂いています。光市では人でつながる輪がたくさんあり、その輪も日々どんどん大きくなっていると思います。
最後に・・・私の密かな作戦。
それは、チョークアート看板をたくさん描いて、チョークアートを見た人が“光”の名のとおり、もっと明るい気持ちになってもらえればと思っています。それが私の光市へのおすそわけです。
室積地区在住 普賢寺副住職 桝野統胤さん
光市には素敵なところが多くありますが、その中で私は、自分が育ち在住している室積を一部紹介します。
室積という土地は、古くは海上交通の要所として栄え、その頃の名残を擁す港町です。長く綺麗な砂浜の室積海岸や、象鼻ヶ岬という半島があり、海と山の自然に恵まれたところです。
象鼻ヶ岬とはその名のとおり、象の鼻の形に湾曲した岬で、対岸の山よりの眺めはとても雰囲気が良く、どなたにも一度は眺めて頂きたいと思うほどの景色です。岬は突端まで歩くことができ、遊歩道や大師堂もあり、人気の散歩コースです。
その象鼻ヶ岬のつけ根の辺りに位置する普賢寺では、安土桃山時代より続く「普賢祭り」という縁日があり、毎年5月は200を超える露店が並び、子どもからお年寄りまで多くの参拝者で賑わいます。
10月には早長八幡宮の秋祭りがあり、各町内で揃いのはっぴを着た若衆が山車を勇壮に曳きまわし、夜には御手洗湾で花火が打ち上げられてとても盛り上がります。
この様に、見物して良し、参加して良しの行事が他にもあり、是非体験しにいらして頂きたいものです。それにより他の方々と御縁を持つことができ、人の輪が広がります。
室積の自然にふれあうこともそうですが、この人の輪がこの地に暮らす人々の気持ちを豊かにする切っ掛けになっているのだと思います。
最後に、「室積は時間の流れがゆったりとしていますね。」といわれることが良くあります。その様な時間の流れの中で毎日の生活を送るという贅沢さを味わってみられてはいかがでしょうか。
梅田病院理事長秘書、光市Uターン等定住者ネットワーク会長 柚木貴晴さん
「郷に入れば郷になれ」という我が陳家の家訓通り、私は迷う事なく光市において帰化申請についてのファーストステップを踏み出しました。帰化申請について少しばかりお話させてください。
私たちが帰化申請をするときに、日本政府はとても大変な時間と労力を割いてくれます。加えてささやかなプレゼントとして、私たちには本籍地を選ぶ自由、名前を新しく申請する自由を与えてくれます。本籍地は、日本国内であれば自分が大好きな県でも市でも選ぶことができ、私は何のためらいもなく、ここ光市を自分のふる里とし、名前は私が勤務する梅田病院の理事長の母上にお願いしたところ、快く引き受けてくださり、ある晩、夢の中でその名前が浮かび、寝床で書き記したのが「柚木貴晴」という、さわやかな香りのする気品?!に満ちた、わんぱく親父には少しばかりもったいない名前をいただくことができました。この名前は日本人社会の中でもよくお褒めにあずかり、私のお気に入りの名前になっています。
さて、ここからが本番です。
そんな私がなぜ、何のためらいもなく光市を自分の本籍地と定め、光市をふる里と定めたのか、少しばかり触れさせてもらいます。
光市-穏やかな瀬戸内の海に抱かれ、豊かな自然に囲まれ、海から山に吹く風はさわやかで心地よく、“心やすらぐ小さな村”そんな表現がぴったりな所ですが、この程度のロケーションであれば、島国である日本を一周すれば、それこそ数え切れないほどのロケーションを持つまちがあることでしょう。
もちろん、ロケーションも大事なことですが、私が光市をふる里として選んだ最大の要因は“人”なのです。
=その3へつづく、乞うご期待=
光市浅江在住 原田和之さん(佐賀県からUターン)
光市での生活の中で、最も魅力を感じるものは、生まれ育った街で生活していることであり、そして自分の子供たちもそこでスクスクと成長していっていること事体が魅力だと感じています。
2004年の春から、高校を卒業して以来15年ぶりに、佐賀県佐賀市から転居して再び光市で暮らしています。関西・九州と転勤した後、家族3人での帰郷でした。
光市は比較的、災害も少なく温暖で豊かな自然に囲まれていながら、便利で暮らしやすい街です。身近な四季の風景や昔と変らない人の温かさにふれると、改めて自分が生まれ育った「光市」への感謝の気持ちがわいてきますし、その気持ちを子供たちにも伝えたいと感じています。
ところで帰郷したきっかけですが、これひとつというものではなく、いろいろなタイミングとか勢いとかが重なった結果です。ただ、一番大きな要因は実家が自営業を営んでいたことです。シフト勤務のサラリーマンをしていた当時理想として考えていた、より良い生活のスタイルを実現するには、帰郷して自営業を受け継いでいくのがベターだと思いました。今ふりかえって「かなり勇み足だったなあ」というのが本音ですが、あの時の勢いが無ければ帰郷することはなかったでしょう。
ふるさとの街並みは、幹線道路が広くきれいになり、新しい橋ができたり、ショッピングセンターやコンビニができたりと、日々より便利になっていると思います。
ウチの前も朝夕とても自動車が増えてにぎやかなのはいいのですが、一本入った路地や学校への通学路などは、人や自転車の通行が少なく閑散として生活感があまり感じられないのが最近気になります。
せっかく便利でありながら自然を身近に感じられる光市なので、歩行者・自転車がより便利で快適な街であって欲しいと思いますし、そうすることでより活き活きと生活できる街になるのではないかと思います。
最後になりましたが、僕の嫁さんは京都出身なのです。生まれ育った関西を離れ「光市」に一緒に帰って来てくれた事、そして快く送り出していただいた京都の義理の母にとても感謝しています。そして子供たちがスクスクと育つ環境を与えてくれる「光市」にも・・・
その感謝の気持ちを忘れず、少しずつでも何か恩返しができればいいなと思っています。
光市千坊台在住 田中秀夫さん
下松市出身。地元大手メーカーへ就職、国内や海外の輸出先などにも、度々出張するなど充実した現役生活を送る。転勤もあったが、幸い、長男も長女も早々と家庭をもち、何れも海外赴任中で、定年前は妻と二人だけの生活であった。
定年後は、風光明媚、温暖な気候に恵まれ、何といっても虹ヶ浜海水浴場と室積海水浴場と、日本屈指の海水浴場を有し、山紫水明、日本第2の水質をもつ水道があり、人情豊かで、中学・高校時代の友人・知人も多く、すべての点で当地を定年後の永住の地とすることに、妻も迷わず賛成してくれたので、此の地に決めた。
子供の頃、芝居小屋で見ていた奇術。高校時代には自分で始めていたが、45歳のとき大阪単身赴任中にマジシャンクラブに入り、本格的に仲間入り。
平成11年定年で光市に定住してからは、近所の子供達や老人会などで披露。年に一度は本場アメリカのラスベガスに勉強に行き、日系人の老人施設などを訪問。好評を博しており、プロと変わらぬ腕前で、光市をはじめ県内各地の子供会や老人福祉施設などで、8年間300回を迎え、自らを磨く華やかな「現役生活」を継続中。
光市室積在住 久保田正和さん
1991年バブル全盛、東京で刺激的なサラリーマン生活を謳歌。仕事も好調!住まいは横浜、その名も並木シーサイドタウン(八景島シーパラダイスそば)。休日は車で10分足らずの中華街で食事。帰りに元町のポンパドールでチーズバタールを買い、スーパーユニオンで夕飯の食材を・・・・。もちろんいつもではありませんが・・・。
カミさんも平日トールペインティングにテニスと友達も多く横浜住まいをそれなりに楽しんでる様子。 子供も元気。通勤は、京浜東北線、東海道線、地下鉄等乗り継ぎ一時間半と時間はかかったが、特に不満も無く楽しく日々を過ごす毎日。
そこに同僚から「スキューバーダイビングとボートの免許(一級)を合宿でとらないか?」と誘われ参加。翌年、部下にモルディブダイビングツアーに誘われモルディブの場所も知らず部下にお任せでいざ出発。
今思えば、これが私の人生のターニングポイントだったとように思う。
到着した所はインド洋。首都マレから更に船で二時間の「ビヤドゥアイランドリゾート」へ。リゾートとは名ばかり(名ばかりなどと大きな勘違いに後で気付くのだが・・・。)で徒歩15分足らずで一周できる小さな島の長屋?タイプの簡素なホテル。とてもオシャレとは言い難い。ブランドのショッピング街、滝が流れる洞窟の中のバーカウンターとハワイのリゾートホテルを勝手にイメージしていた私は、到着第一声「ここに一週間!」
しかし、これが良かった。
一日午前、午後と2回潜り、チョロチョロとぬるま湯しか出ないシャワーを浴び夜9時には就寝。翌朝は、ハウスリーフの熱帯魚に前夜のパンくずをやり朝食後ダイビングへ。午後のダイブも終わり、夕食までの時間は、沈む夕陽を見ながらビーチでUNOに夢中になり、まるで合宿の様。
当初はこんな所に一週間も?とか、リゾートとは名ばかりなどと思っていたが日が経つにつれてこれが何とも心地良い。今までに味わったことの無い時間の流れに「心地よさ」と同時に「豊かな気持ち」を感じたのだ。
そして成田に到着した瞬間「東京はもういいな。」と 。決して嫌になったのでは無く、何となくである。
翌日英語の堪能な同僚に「リゾートってどう言う意味?」とたずねると、間髪入れずに返ってきた言葉は「また行きたくなる所」。思わずうなってしまった。まさに私の感じた通りだったからだ。 *「リゾート」・・・・辞書では保養施設・保養所
それからだ。「豊かな生活って何だろう?」と考えるようになったのは・・・・・。 翌年はカリブ海、その次はハワイへと・・・・。しかし毎年成田に到着する度に「東京はもういいな。」と念仏のようなフレーズが頭の中をかけめぐる。
それがいつしか「光の海を見ながらフライパンでも振れたらいいな」と・・・・・・・。
そして父の胃の切除をきっかけに、元気なうちに親孝行でもしなければと海辺近くの土地探しを父に依頼。運良く小さな土地だが波打ち際から10秒と、私の思い描いていた土地を入手できた。 そして「Uターン・脱サラ」、光(室積海水浴場内)に小さなパスタ屋を開店。その名も「ボートハウス」
きれいな海、白い砂浜、潮風、海に沈む夕陽。私の描いたキャッチコピー「海がご馳走。夕陽がインテリア。BGMは波の音」まさにモルディブで感じた「豊かな気持ち」をこの光、室積で実感している。「また行きたくなる所」では無く毎日がその連続なのだ。
波打ち際から10秒という場所柄、台風シーズンなど年に2~3度緊張する日はあるが、残る362~3日間は毎日が「リゾート」と同居。「今日は西風が強いね。」 「今日は南からの風が・・・・・。」対岸40キロ先の九州を指し「今日は国東半島がよく見えるね」とこんな会話が日常に・・・・。夏が近づけば沈む夕陽が向かいの大水無瀬島から小水無瀬島にだんだん右へと移動して行く。
そんな夕陽を見ながら時々思い出す。 14年前東京を出る時、送別会で知人が私に言った言葉を・・・。
「失うモノも沢山あるでしょう。でもそれ以上に得るモノも沢山ありますよ。」
まさにその通りなのだ。 開店前に、ワンコとひと泳ぎそして厨房へ。凪ぎの日は潮見表を見ながら船を出し釣りへ。
私にとって、ここは「光だからこそできる。光にしかできない。」事の沢山ある「豊かな気持ち」のための「宝の山」いや「宝の海」なのだ。この「豊かな気持ち」を、もっと沢山の人に味わって欲しい。
今は独り占めしているようで、何だか申し訳け無い気持ちでいっぱいなのだ(笑)

梅田病院理事長秘書、光市Uターン等定住者ネットワーク会長 柚木貴晴さん
ここ光市に集い、住む人々は皆「おだやか」で「やさしく」、ここでは日本人が持つ究極のボランティア精神、善なる心に満ちた楽しい“おせっかい”に日々出会います。
ご近所のお年寄り(私も十分に年寄りですが)の溝板を上げてあげたり、ちょっとしたお手伝いをすると、翌朝、玄関を出ると、お野菜の山が何気なく出来ていたり、向かいのおばあちゃんが育てているお花を褒めると、いつの間にか我が家の小さな庭にその花が植えられているなど、神戸では一度も味わったことのない、何とも、ほかほかとした笑いが込み上げてくる「ひと時」を手にすることができます。
異邦人である華僑の私を光市の人達はごく自然に迎え入れ、多くの「友」と呼べる仲間にも恵まれました。わが家の数多くの教訓と教えの中に“華僑として誇りを持ちながらも、そのまちの風俗習慣を理解し、手にのっかるお手伝いを常に心にとどめて、ささやかなまち育て出来ることは私の大きな喜びでもあります。
確かに、光市にはゴージャスなホテルもコンベンションホールもムービーシアターもショッピングモール、プレイランドも何もありません。
子どもたちに問うと、みんな口をそろえて「光市が大好き!」と言ってくれますが、このまちに住みたいかと聞きますと、「ここには何もないから」という答えが返ってきます。 
そんなとき、私はいつもこう言います。「確かに光市には何にもないよね。でも、もし君の家の隣にショッピングモールがあり、向かいにゲームセンターがあったらどうだろうか。何でも手の届くところにあることが、君の住む快適な住居と言えるんだろうか。そこには本当の意味での“ほっとひと息、一休みできる”家庭になりえるのだろうか」とね。
=その4へつづく、乞うご期待=
虹ヶ丘在住 矢部 東洋司さん
私は、光市に住んで65年になります。若い頃は光市の魅力について深く考えたことはありませんでした。13年前、妻とダイエット目的で始めたのが光市の茶臼山登山、それがエスカレートして、中国、四国、九州そして日本百名山(富士山を含めて3座を残している)
妻と一緒で300mから4000m以上の山を622座、登りましたが、年々体力の衰えを感じて、毎日、光市の茶臼山登山をトレーニングとしています。

頂上からの眺望は、高層ビルが無いため室積から下松まで、四季折々の景色が広がります。 白砂青松の海岸、瀬戸内海に浮かぶ数々の小島は、特に魅力的です。
今まで登った山のベスト10に入る、絵になる景色です。現在は1日に30~40人の中高年の方々が登っていらっしゃいます。また、登山路の脇に虹ヶ浜菊(光市で発見された新種)が咲いています。
昨年から浅江地区コミュニティ協議会の『まちづくり推進部』の活動に参加しています。 色々なイベント、講演会、まちづくり交流・視察研修の中で、光市の財産である虹ヶ浜のいいとこ探しをテーマに小学生から大人まで数十名で現地調査、浅江地区の歴史探訪、浅江小学生による虹ヶ浜菊を広げるための刺し芽活動に参加して、今まで知らなかった光市の魅力を発見しました。
転勤や出向等で県外で生活した私にとって、気候温暖で風光明媚なこの町に住むことに喜びにしています。
今後、高齢化する光市の活性化のため何かを発信して行きたいと考えています。

虹ヶ浜在住 植村 芳弘さん
私はリタイアを契機に、少年時代に6年間過ごした光市に帰ってきました。終の棲家としてこの虹ヶ浜に住むことにしました。
虹ヶ浜は、西の門蔵山から東の島田川右岸まで2.4キロも続く美しい海岸です。明治の文人たちが、弓なりの海岸線が「虹」のように美しいからと命名したとか。冬至のころ、海に沈む夕日の美しさは格別です。
瀬戸内海有数の白砂青松も、先人たちの努力の賜物として現在に引き継がれてきたものです。私たちも地域の作業として、2月の松苗の植栽、間伐を毎年行っています。松の木の戸籍も調べて登録します。
海では、春先の風を利用してパラサーフィンに興じる若者もたくさんいます。浜には、春から秋にかけて、多くの種類の草花が咲きます。一時、絶滅が心配された「ハマボウフウ」も、有志の努力で年ごとに増加しつつあります。浜には他にも赤や紫の花が可憐に咲きます。
7月には市民総出の「クリーン光大作戦」が実施されます。虹ヶ浜にも6千人以上の地域の人が出て清掃します。市内外のボランティアの皆さんもたくさん参加されます。浜に来てくださる皆さんに、気持ちよく利用してもらうためです。このイベントも今年で37回を数えます。「継続は力」といいますが、まさに私たち市民のすばらしい力です。
夏の光花火大会は、ロケーションの良さから毎年7万人以上の観客を集めています。百数十軒もの夜店も楽しみの一つです。虹ヶ丘の高台から見る花火もすばらしい眺めです。やろう会(おやじの会)が主催する「サンドアート」には、子供から大人まで30組以上が参加し、数時間の砂の芸術に挑みます。
立冬の頃には、松の幹に菰(こも:越冬する害虫の駆除)を巻く作業も浜の風物詩です。最近は小学生も授業の一環として見学、実習をします。
虹ヶ浜への私の思いは尽きることがありません。近年、「瀬戸内における超長期的生態系・景観モニタリング手法の研究」の研究会メンバーとして活動する機会を得ました。
折角、虹ヶ浜に住んでいるのだから、と思いを新たにして取り組んでいます。虹ヶ浜は私にとってふるさと以上のふるさとなのです。
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